さらっと「本能寺の変」 ~織田信長の最期となる戦国ミステリー~

初訪問の方は、はじめまして。

他の記事から見てくださっている方は、こんにちは。

さらっと納得を目指す本サイト「さらとく」。

本日は第11回の記事となります。

年末に向けた「織田信長三本立て」計画、

今回はその三本目にして、計画の締めとなる回です。

前々回信長の人物像を、

前回信長の制した有名な戦い

それぞれ紹介させていただいたかと思います。

そして最後となる今回は、

やはり「織田信長にとっての最期」を題材にしたいと思います。

というわけで、今回の記事では

今なお謎多き戦国ミステリー「本能寺の変」について紹介させていただきます。


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概要

時は戦国時代。

諸国の大名に対する問題をあらかた片付けて、

もはや天下統一も間近と言える織田信長に降りかかった番狂わせの襲撃事件です。

場所は、京都本能寺

実行したのは、家臣である明智 光秀(あけち みつひで)とされています。

この事件により、信長は本能寺にて自害

嫡男であり織田家の当主でもある信忠(のぶただ)もまた、

近くの城館にて自害

結果として、

天下統一を目前に織田家のツートップが落命

という致命的な事態を招くことになったとされています。

何が謎?

ここまでだと、結果が大変なことになってはいるものの

有力者への奇襲攻撃

という、戦国時代であれば、ままある話です。

では、一体何が謎とされているのか?

ズバリ「明智光秀の動機」です。

様々な説

同時の情勢や、後の損得から考えて

光秀の動機についてはいくつもの説があるそうです。

が、そのどれもが証拠らしい証拠が無く、いずれも決定打に欠けるのだとか。

中でも有名な説を、いくつか紹介いたします。

動機①:下克上を狙った?

一番分かりやすいのが、この理由ですね。

目的についても光秀の胸中にあれば良いものなので、

物として証拠が無いのもあり得る話です。

が、それでもひとりで天下が取れるわけもなく、

当然他者の協力が必要になるのですが、そちらについても証拠が無い

しかも、本能寺の変の後、光秀へ協力する動きも無かったことから

色々な意味で決定的な証拠が無い」という説です。

ちなみに、後者については、

「直後に対立する豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)の対応が速すぎ

 手を出す隙が無いままに光秀が負けてしまった

とする説もあるそうです。

動機②:実は嫌っていた?

気難しいことで知られる信長ですが、それに関して

よく被害を受けていたのが、この光秀だとも言われています。

具体的には

  • 任じられた役目を取り上げられた
  • 公衆の面前で理不尽に叱られた
  • 酔った信長にアルハラを受けた

等々、色々なシーンでの出来事が語られます。

が、このあたりのエピソードはほとんどが創作で、

気苦労の可能性はあるものの、やはり証拠にはならないとされているそうです。

ついでに言っちゃいますと、

信長自身はほとんどお酒を飲まない人だったと言われているため
上記のアルハラ疑惑については、その意味でも怪しいのだとか。

動機③:黒幕がいた?

これも中々あり得そうな話です。

つまり

「実行したのは光秀だけど、それを指示した人が別にいた」

と言う説です。

もちろん、これについても現時点では証拠が無いため、推論でしかないです。

が、これまでの信長の行動は、良くも悪くも大きな影響があったため

誰か黒幕っぽいか?」と考えると、

そっちの面で動機がありそうな人物がたくさんいることで知られています。

(おまけ)信長生存説

光秀の動機について様々な説があるのは先述の通りですが、

他にも

「実は信長は生存していたんじゃないか」

みたいな話もあるそうです。

その最たる理由は、焼け落ちた本能寺の跡から、

信長のものと思しき痕跡が見つからなかった

という点にあるのだとか。

色々と焦りもあったでしょうし、時代が時代なので確認の手段もそれほど無いため

単に「見つけられなかった」という可能性も大きそうですが、

ある意味では、本能寺の変の注目度を表す逸話でもあるかと思います。


以上、今回は本能寺の変について紹介させていただきました。

これをもって、「織田信長三本立て」は締めとなります。

来年元旦からは、また別なテーマで記事を書かせていただきます。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

また他の記事でお会いいたしましょう。

皆様、良いお年を。

その他
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