さらっと「織田信長」 ~戦国三英傑のひとり、天下布武を謳った第六天魔王~

初訪問の方は、はじめまして。

他の記事から見てくださっている方は、こんにちは。

さらっと納得を目指す本サイト「さらとく」。

本日は第9回の記事となります。

本記事を投稿する頃は、カレンダー的にはもう年末

大晦日まで残り数日のカウントダウンが始まっている頃合いです。

書きたい事柄はより取り見取りなのですが、

やはり新年を前にして、記事の進捗を中途半端な形にしておきたくはないと思った次第です。

そんなわけで、今回から年末にかけては

テーマを決めた一連の関係記事を投稿していきます。

本年を終えるその日で、きれいに記事の流れも一区切りにしたいのです。

と言うわけで、第9回となる今回から始まる関連記事。

テーマは、日本の戦国時代より「織田信長」についてとさせていただきます。

もうこの人については、心配することがほとんどないです。

知名度に関しては、日本でも随一

日本の偉人」で括ると、まず間違いなく名前が出てくるのではないかと思える有名人です。

今回からは、そんな織田信長について紹介させていただきます。

今回に関しては、むしろ有名さこそが懸念なんですよね。

逸話の化身みたいなこの御仁、
本当に今年中にまとめられるんでしょうか、筆者。


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名前(通称)は?

本名は、

平朝臣織田上総介三郎信長(たいらのあそんおだかずさのすけさぶろうのぶなが)

一般的には、

織田 信長(おだ のぶなが)

と呼ばれます。

はい、きっといたと思います。

「長い!」
「そもそも誰!?」

と言いたくなった方。

もちろん、筆者もそう思いました。

種を明かしますと、

戦国大名の名前には、姓名以外にも色々な要素があるんです。

それらを全部ひっくるめたものが正式な名前とされますが、

そのあたりは今回スルーします。

機会がありましたら、いずれ別記事で書かせていただきますね。

とりあえず、本記事では

通りの良い「織田 信長」を使用させていただきます。

出典は?

16世紀の日本における史実の戦国大名です。

ここ最近人物を考えると、意外と昔という気がしないのが不思議。

どんな人?

概要

日本の戦国時代において、天下の覇権を握りかけた大名です。

後の「豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし)」や「徳川 家康(とくがわ いえやす)」と共に

戦国三英傑」と称される人物で、

苛烈な所業容赦のない性格の持ち主であった一方、

新しい物や文化を好む開明的な人物でもあったと言われています。

逸話①:鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス

先の「三英傑」を題材にした三句の川柳のひとつで、

信長の性格を示す一句です。

「自分の言うことを聞かないのなら、即アウト」

ということで、気難しい上に怒りやすい人物像を表しているそうです。

・・・が、実はこれ、いろいろ端折られてます

というのも、確かに信長は、生前自身に反抗した勢力に対しては

徹底的な対応を取ったことで知られています。

「これ」と決めた時の容赦の無さも事実らしいです。

一方で、そういう敵対関係が絡まなければ比較的気さくな人物であり、

部下の家庭問題にすら気を配ってくれる良い上司でもあったとも伝えられています。

ちなみにご本人は、
当時としては珍しいほどに女性への気配りがあったと言われています。

実際、部下(秀吉)の奥さんにあてた励ましのお手紙まで残っているとか。

加えて、仮に敵対していても即座に実力行使とは限らず

可能な限り穏便に収めようとしたり、

おとなしく謝るなら比較的軽めな処分だけで済ませたり、

関係が完全に決裂するまで自分から手を出すことはしなかったり、

といった苛烈どころかお人好しな判断も多かったと言われています。

逸話②:第六天魔王(だいろくてんまおう)

こちらもまた、信長を示す通称として有名なものだと思います。

元々は宗教勢力と敵対したことから、

仏敵を意味する「天魔」と呼ばれたことに始まるそうです。

と言いつつ、信長本人も「第六天魔王」と名乗ったこともあるのだとか。

語感が気に入ったんでしょうか。

このように書くと、いかにも宗教への弾圧があったように思えますが、

当時の宗教勢力は「僧兵(そうへい)」と呼ばれる兵士を多数抱えた立派な武闘派も多く

特に信長と敵対した勢力は、あれこれと悪行の多い派閥でもあったと言われています。

しかも、これまた先に手を出したのは宗教勢力側で、

信長としても放置できないという決断から、

武力による鎮圧を行ったという説が有力なのだそうです。

余談ですが、信長は宗教そのものについては寛容で、
本人はむしろ信心が篤い方だったとか。

あくまで、宗教の範疇を越えて手を出されることを嫌っただけみたいですね。

逸話③:人物像

逸話①」で書かせていただきましたが、

  • 気難しい性格
  • 怒りやすい

これは確かに信長の性格としては事実ではあると思います。

実際、理由によってはあっさり怒って、重い処分を下すこともあったらしいです。

一方で、

  • 味方への細やかな気配り
  • 敵方との関係も穏便に済まそうとする
  • 特段の問題が無いのであれば弾圧することもない

といった度量のある面も伝えられています。

おそらくこれは、どちらが正しいというものでもなく、どちらも信長の性格であり、

総合すれば、

ハッキリとした価値観に、厳しさとやさしさの双方を備えた人物

であったということかと思われます。


以上、今回は織田信長について紹介させていただきました。

最初に述べた通り、あと数回、信長シリーズで記事を書かせていただきます。

おおまかな人物像は今回紹介いたしましたので、

次回以降は逸話について記事にしていきたいと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

また他の記事でお会いいたしましょう。

史実
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