![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/ギリシャ風景写真_1200_トリミング.png)
初訪問の方は、はじめまして。
他の記事から見てくださっている方は、こんにちは。
さらっと納得を目指す本サイト「さらとく」。
第2回の記事となります。
第1回である前回、記事の冒頭で「原点」と書かせていただきました。
『スタートラインである』と。
何事もスタートが大事であるのはその通りですが、続く2回目も負けず劣らず大切です。
何せここを越えないと三日坊主にもなれません。
というわけで、やはり大切な第2回である今回は
ルーマニアにおける史実の英雄「ヴラド3世」について書かせていただきます。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/ドラキュラ_300.png)
・・・はい、多分いらっしゃると思います。
「誰それ?」
と考えられた方。それなりに。
実際のところ、前回のヘラクレスのように
名前を聞くだけでピンとくるほどの知名度は無いのかもしれません。
だからこそ、
その知名度向上の一助になればという思いも込めて、今回筆を取らせていただきます。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
・・・と、カッコいい物言いしていますが。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
やはりというべきか、
第2回のテーマに決めた理由には、それ以外の要因も含まれています。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
先の知名度向上も本心ではありますが、
動機としては1:9くらいの割合ですね。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
・・・え、残り9割の内訳ですか?
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
もちろん、推しゆえに。
名前(通称)は?
本名はヴラド。
通称として
- ヴラド・ツェペシュ
- 串刺し公(カズィクル・ベイ)
- ドラキュラ公
などと呼ばれます。
中でも有名なのは3番目。
おそらく聞き覚えのある方もおられたかとおもいます。
今日において「吸血鬼」の代名詞と言えるキャラクター
「ドラキュラ伯爵」
その元ネタです。
出典は?
15世紀頃の史実の人物で、
ワラキア公国(現在のルーマニア)を治めた君主です。
どんな人?
概要
ワラキア公ヴラド2世を父とした兄弟の
次男として生まれた人物です。
幼少期は他国に留め置かれ、長じてからはワラキア公の座に就くものの、
即位(1回目)→亡命→即位(2回目)→幽閉→即位(3回目)
というサンドイッチのような波乱万丈ライフを送ったそうです。
在位中の行動にはインパクトのあるものが多く、
史実の人物ながら、創作さながらの逸話が残っている人でもあります。
逸話①:対オスマン帝国の英雄
対外的な逸話の多いヴラド3世ですが、
中でも特筆すべきもののひとつが、このオスマン帝国との戦いです。
オスマン帝国というのは、当時存在したすごく大きな国のことです。
その頃のトップはメフメト2世。
生涯の30年以上を征服事業に費やしたという人物で、通称「征服者(ファーティフ)」。
そんな大国に狙われてしまったワラキア公国なのですが、
国長であるヴラド3世は故国を守るため徹底抗戦を選択。
自身も果敢に戦い、遂にはメフメト2世を撤退に追い込みます。
当時の戦力差からすると、これはかなりすごいことだったらしく
この活躍をもってヴラド3世は英雄と称えられたそうです。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/さらとっくん_160_160.png)
ちなみに、その時のヴラド3世の戦い方はこんな感じだったそうです。
敵が水や食料を得られないようにする
↓
ひたすら奇襲を繰り返して休ませない
↓
疲れ切った頃に罠でSAN値をゴッソリ
↓
(´・ω・`)
逸話②:串刺し公(カズィクル・ベイ)
ワラキア公国を治めていた時、ヴラド3世は、
当時存在した「串刺し刑」という刑罰を多用したと言われています。
![](https://saratoku.net/wp-content/uploads/2020/12/焼き鳥_ねぎま_300.png)
時には自国の侵略者に対して見せつけたこともあり、
上記のメフメト2世は色々理由が重なった挙句のこれがトドメとなって
撤退せざるをえなくなったそうです。
と言っても、別に暴君的に振舞っていたわけではなく
あくまで「罪には厳罰を」という姿勢だったみたいですね。
逸話③:ドラキュラ公
遂に来ました、ドラキュラ公。
ヴラド3世のニックネームで最も知名度が高そうです。
「吸血鬼」的なイメージでご存じの方も多そうなこのフレーズ。
実は、ほとんど関係無いです。
解説①:意味が違う
何となく「吸血鬼=ドラキュラ」みたいなイメージがありますが、
元々は「竜(ドラゴン)」を意味する単語です。
父親のヴラド2世が「ドラクル(竜公)」と呼ばれており、
その息子であることからヴラド3世は「ドラキュラ(ドラクルの子)」と呼ばれたのだそうです。
解説②:扱いが違う
ドラゴンと言えば、一般的に「強い生物」という印象だと思いますが、
時には、逆に「悪魔の象徴」みたいなイメージで解釈されることもあります。
ヴラド親子のあだ名についてもこのパターンが関係していて、
ドラゴン(ドラクル)≒悪魔 ⇒ ドラキュラ≒悪魔の子
というネガティブイメージがついてしまった部分があるのだとか。
というわけで、分かるような分からないような、1周して面白いような
ヴラド3世のあだ名に由来する苦労譚でした。
以上、今回はヴラド3世について紹介させていただきました。
相変わらず、推しとなると筆が乗るのがあれですね・・・。
ともあれ、お気に入りの人物だけあって、やっぱり書いてて楽しめました。
今後、またご紹介できることが増えましたら別記事などでまとめさせていただきますね。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また他の記事でお会いいたしましょう。
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