さらっと「始皇帝」 ~中国史上初めて全土統一を果たした、歴史上初の「皇帝」~

初訪問の方は、はじめまして。

他の記事から見てくださっている方は、こんにちは。

さらっと納得を目指す本サイト「さらとく」。

今回は、第7回の投稿となります。

前回はエジプトと少し離れましたが、

過去の記事を振り返ってみますと、

ほとんどが西洋に集中していたと思います。

はい。どう考えても、筆者の推しがそのあたりに固まってるからですね。

特段地域を絞っていこうという考えも無いですし、

この辺でグローバル化を果たしたいと考えて、今回の記事となります。

と言うわけで、第7回となる今回は一気に東方へ飛びまして、

中国より、史上初の「皇帝」を名乗った人物「始皇帝」について書かせていただきます。

おそらく中国史の登場人物としては

比較的名前が知られている人ではないでしょうか。

焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」や「万里の長城」など、

始皇帝を由来として現代にも伝わる単語もある程なので

その影響力は推して知るべしです。

今回の記事では、そんな始皇帝について、さらっと紹介させていただきます。


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名前(通称)は?

本名は、嬴政(エイセイ)

通称としては、やはり「始皇帝」が何より有名ですね。

ちなみに、この「皇帝」というのは、国土統一を果たした後に
嬴政(エイセイ)自身が考案して使い始めた称号らしいです。

つまり「初の皇帝」というより「『皇帝』の創始者」ですね。

そして、その初代である自分を指して
「『』まりの『皇帝』である」として「始皇帝」なのだとか。

良いネーミングセンスしてますねー。

出典は?

古代中国における史実の人物です。

紀元前200年代に活躍したとされています。

ちなみに、紀元前200年代というのは、日本で言えば弥生時代

海外に目を向けますと、約100年前には
アレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)が大暴れしていた時代です。

どんな人?

概要

いくつもの国が覇権を争う中国の戦国時代において、

秦(シン)」という国を治めた君主です。

後に秦(シン)が国土統一を果たしたことで史上初の「皇帝」となりました。

在位中の行動は「焚書坑儒」や「万里の長城の建設」など、

良くも悪くも後世に残るものとなっています。

逸話①:焚書

上にもあります「焚書坑儒」の前半部分です。

一般的なイメージとしては

「自分に歯向かう考え方を教える本は焼き捨てよ。これ命令。」

みたいな暴君っぽいものだとされています。

実際、貴重な本も一緒に燃やされた可能性もあるので、全くの間違いでもなさそうです。

・・・が。

実はこれ、別に何でもかんでも焼かせたわけではなく

「今の世に合わない考え方を教える本は処分するように。それ以外はそのままで良いよ。」

というお触れだったみたいです。

実際、本を燃やしてはいますが、普通に除外項目もあった上に、

自身の政策に合わない教えであっても、無条件に禁止するといったこともなかったとか。

つまり、強権ではあったし、被害もあったけど、

始皇帝的にはちゃんとした基準と配慮はあったらしいですね。

逸話②:坑儒

こちらは「焚書坑儒」の後半部分です。

意味合いとしては

「儒教(ジュキョウ)を伝える学者達が気に食わないから、まとめて穴埋めにしてしまえ。」

みたいなもので、こちらもネガティブなイメージが多いのではないでしょうか。

さらっと豆知識

儒教(ジュキョウ)と言うのは、中国の思想のひとつで、大雑把に言えば
「他者への思いやりを実践することが大切ですよ」
という教えです。

・・・が。

こちらも例によって誤解が混ざっていまして。

確かに始皇帝の命令で穴埋めにされた人々はいるらしいのですが、

実はこの人達

始皇帝から仕事を任されたけどいつまで経っても成果無し
&問いただすと言い訳+始皇帝を非難
&続けて脱走
&更に調査すると予算の横領が発覚
&更に更に芋づる式に数百人分の余罪まで発覚

という見事なコンビネーションを決めた面々だったそうです。

ぶっちゃけ儒教とか関係無くて、ただの悪い人達ですね。

というわけで、あまりにあんまりな結果

さすがの始皇帝もプッツンして・・・というのが「坑儒」の内訳とされているそうです。

これに関しては「焚書」の項みたいなフォローはいらないかと。

逸話③:大規模な土木工事

始皇帝の生前の施策として、他によく挙がるのが「土木工事」です。

「大規模な工事に民衆を駆り出したことで人民を疲弊させた」

ということで、始皇帝の暴政の一端とも言われています。

・・・が、やっぱりこれも別な面がありまして。

「万里の長城」などの工事には、確かに多くの人が動員されたみたいですが

これ基本的には囚人による労役なのだとか。

もちろん規模が規模ですから

民衆を一切工事に関わらせなかったかと言われれば不明なのですが、

やはり始皇帝的には、

極力ゴリ押しのような施策を取らないようにはしていた節はあるみたいですね。

逸話④:人物像

ここまでの項目で片鱗は見えていると思いますが、

  • 時代にそぐわない教えは好まない
  • 仕事をサボったり犯罪に走ることは許さない
  • 囚人をのんびりさせないで働かせる

というのが始皇帝の考え方らしいです。

要するに、無駄を嫌う合理的な王様です。

ちなみに、今回は書いていませんが
「何事も自分自身で確認して決裁する」
という働き者な性格を示す逸話もあるそうです。

もちろん割と強引な決断をすることもあったみたいなので、

「善良そのもの」とは言えず、いくらか暴君っぽい部分もあったかもしれません。

が、全体的には悪政というほどの行いでもなく

どちらかと言えば、世をより良くしたい思いがあったのではないか

などと筆者的には考えてしまいました。


以上、今回は始皇帝について紹介させていただきました。

本記事では始皇帝の特に有名な逸話を書いていますが、

この人の逸話は他にもいろいろありますので、

そのあたりもいつか別記事でまとめてみたいと思います。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

また他の記事でお会いいたしましょう。

史実
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