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初訪問の方は、はじめまして。
他の記事から見てくださっている方は、こんにちは。
さらっと納得を目指す本サイト「さらとく」。
第8回目の記事となります。
前回の記事では、中国の始皇帝について紹介させていただきました。
が、初めて中国全土を統一した君主だけあって、
この人の逸話はかなり多く、それだけでひとつの記事になり得ます。
ズバリ言えば、前回だけでは書ききれませんでした。
と言うわけで、第8回となる今回は
「始皇帝の逸話」について書かせていただきます。
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始皇帝自身と、その特に有名な逸話については前回の記事でまとめましたので、
今回はそれ以外の逸話で、よく語られるものをいくつか紹介いたします。
逸話①:ものすごく勤勉
始皇帝の政務に対する逸話のひとつに
「天秤で書類の重さを量って、
それを昼と夜の分に割り振って、全部終わるまで休まない」
というものがあります。
要するに、「当日分の仕事が終わるまで帰りません」と言っているわけです。
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現代でさえあまりに強要したら問題になるような取り組み方を
紀元前の時点でやっていたということらしいです。
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しかも国のトップである始皇帝自身が。真面目すぎ。
ちなみにこの逸話の発端は、
前回の「坑儒」の項に書かせていただいた
いろいろやらかした挙句に始皇帝の批判をして脱走した人の物言いなのだとか。
「始皇帝はこんな働き方をしている。
全部自分で決めないと気が済まない欲張りなんだ!」
みたいな捨て台詞だったそうで。
経緯が経緯なので、実際にそういう働き方をしていたのかは定かではありませんが、
少なくともそういう批判を受ける程度には、
為政者として真面目過ぎる気性ではあったのかもしれません。
逸話②:目指せ中央集権
始皇帝以前の中国においては、
従来「封建制」という制度で統治を行うのが一般的だったそうです。
これは、
国内をいくつかの領地に分けて、それぞれに自身の部下や親族を配置することで統治する
という方法のことです。
要するに、同族経営ですね。
始皇帝はこれを改めて、
国内の各地に役人を送り、それを中央で管理する
という「郡県制」を採用したとされています。
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別に封建制自体が悪いわけではないんですよね。
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ただ、
・各領地が独立性を持ちやすい
・領主同士や君主との仲の良さがそのまま統治の安定に直結する
・領主が君主への成り上がりを目論む
等々、トップとしては嬉しくないデメリットも多かったということで。
郡県制は後の世でも統治の方法に採用される制度なので、
方法として有用であったのは間違い無かったみたいです。
が、その意義が分からないと各地は混乱しますし、
何より、領地を貰う算段でいた人物にとっては夢が皮算用で終わってしまいます。
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ちなみに、始皇帝自身は結構現実的な人だったらしく
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人材の採用は能力主義な上、
仕事をしなかったら王族であっても罰する方針であった言われています。
実際、当時は「よく分からない有用性より従来の方法」な人物が大多数だったらしく
始皇帝にも度々「封建制に戻しましょう」と意見されていたそうです。
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つまり、時代が始皇帝に追い付いてなかったんですね。
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そう考えると、理解者に恵まれなかったというのが、
始皇帝の何よりの受難だったのかもしれません。
以上、今回は始皇帝の逸話について紹介させていただきました。
逸話の中でも目立つところを書きはしましたが、実はこれでもまだ他に逸話はあります。
つくづく話題に事欠かない御仁ですね。
他の逸話についてもどこかで書いてみたいものです。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
また他の記事でお会いいたしましょう。
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